
田園テニスクラブ

田園調布雙葉学園

田園調布富士見会館
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五、計画の内容
計画面積は、洗足地区10万坪、多摩川台地区30万坪で、買収単価は平均で坪3円53銭だったが、現在の田園調布付近は最高8円、最低2円50銭だった。当時商業地として最高だった日本橋は坪3000円だった。地価の安い、田んぼや畑の田園地帯だった。
昔も今も田園調布といえば、駅前のロータリーとそれに続く住宅地。これも秀雄氏がパリ凱旋門の環状線と放射線が交差している形式で、町ぐるみ公園をイメージした。緑地・公園・道路面積が18%と、当時の国内分譲地の5%に対し、3倍以上もあった。さらに上下水道も完備、道路は広く今もある並木が美観を演出した。
住宅地は土地譲渡契約書で@他人の迷惑のならない建物 A塀は瀟洒、典雅なもの B建物は3階以下 C宅地は敷地の5割以内 D工費は1坪当たり120円以上――など近隣との調和を考えた建築を求めた。住宅地以外の建設は禁止されたが、駅を中心とした一角に店舗地域が定められた。
また、入居後は住民の自治組織「田園調布会」も作られ、村税問題、夜警問題などで団結して交渉し、さらには消費組合も作られるなど高い住民自治を誇った。
地域内に居住者のために娯楽場を設置、ここにテニスコートやブランコなどの運動器具を設置、多摩川岸には一大遊園地が計画された。テニスコートは後に田園コロシアムに、遊園地は多摩川園遊園地として実現した。しかし今はいずれも姿を消している。
都心との交通には省線(現在のJR)、東京市電との連絡に目黒、蒲田を結ぶ目蒲線が、また大井町線も計画、実現された。 |