渋沢和男(一雄)さんより聞き書き
(聞き手:毎日新聞・竹田令二)


 【理想の街づくりのこと】
  田園都市会社で渋沢秀雄氏は理想の住宅地作りに海外に視察に行った。若い感性でさまざまな新しいアイディアを取り込み、街づくりに反映させた。

 「田園調布の憲章にある生垣はホノルルで生垣の花に囲まれた住宅地を見て低い生垣を義務付けたのです。父が言っていました。アメリカの街を見ていたら町全体がとてもきれいだった、と。屋根の色が申し合わせでそろえられ、絵の中に収めるように街が作られていたそうです。今は「街」という考えが無視されています。その個人はいいのでしょうが街全体という点からは壊されているのです。」

 

 
【家の話】

 田園調布が売り出されたころ、渋沢さんは、御殿山に住んでいた。秀雄氏は田園調布の売れ残った土地を1区画買い取り、そこに宣伝を兼ねた、今でいうモデルハウスを作った。マツダ(現東芝)、東京日日新聞(現毎日新聞)などとともに協力、理想の電化住宅「電気ホーム」としてPRに使った。台所には電気炊飯器、電気オーブン、浴室にはシャワーがつくなど、夢の電化生活を人々に見せた。その後、電気ホームは渋沢家の別荘から居宅へと変わったが、使う電気代の高さに秀雄氏は「電気のプラグを抜いて回った」と記している。
電気炊飯器、電気オーブンなどを配したキッチンの様子 当時は珍しかった浴室のシャワー



 「敷地は1000坪ありました。1区画がすべて我が家でした。竹林もあり、春はたけのこを味わえました。広くて運動会もできました。

 中に自慢のケヤキの木がありました。1本の木が根元から分かれている“武者つくり”で木のまわりは3−4人で手をつないでも周りきれないほどでした。飛鳥山(北区王子)のおじいさんの家の前にあった生家に生えていたものを、父が大八車で運ばせたものです。
 土地は相続とその税金対策で細かくなって、大ケヤキも一部は残っていますが、だめになりました。」

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